出町柳

ジグソーパズル

おひさま

仕事で急に関西に住むことになり、慌しく移り住んで来て、もうすぐ5年だ。最初は2年か3年で帰る筈だったんだけれど。

別にその事を不満に思っているわけではない。だけど、自分が今いるところは、本当の自分がいるべき場所ではなく、仮の居場所であるかのような気がしてしまう。地に足がついていない、フワフワした感じがついて回っている気がする。

以前は車に乗っていたけれど、引越しの時に売り払ってしまって、なかなかまた買う気にならない。だからこの5年、休日の移動はだいたい電車だ。電車で移動していると、ある時行ってみた街と、別のある時行った街、その位置関係が分かりにくい。

例えば、どこか初めて降りる駅で誰かと待ち合わせしたとする。もしかしたら、とても早く着いてしまい、腹も減ってるなんて言って、その辺の喫茶店に入るかも知れない。もしかしたら、ちょっとだけ時間つぶしに本屋に入るかも知れない。そうやって、その街で行動した範囲、それだけが、僕のその街の印象になる。そして電車移動のせいで、その街がどこにつながっているのかイメージできないので、本当に限定された断片だ。

まるで、ばらばらになったジグソーパズルのピースの様なもの。この5年で、そういったピースがずいぶんポケットに貯まってきた。これを組み立てて、きちんと把握しようとしないでいるのは、多分、ここは仮の居場所であるというこのフワフワした感じのせいだ。

出町柳

3年くらい前、京都にある出町柳という駅で待ち合わせをした。京都の街から京阪電鉄に乗って終点の出町柳まで行き、そこで友人と合流し、今度は叡山電鉄に乗るという予定だ。

お盆を過ぎ、海水浴にはもう遅いだろうという時期。京都の街はものすごく暑かった。京都の暑さ寒さは強烈だと言う。確かに汗がダラダラと流れている。風も無いせいか、まるでサウナの様だ。なるほど、これが京都の暑さなんだ。

だけど、叡山電鉄に乗ると、だんだんとそれまでの暑さが薄らいで行く。そしてしばらくして気付くと、ヒヤッとする程の涼しさだった。出町柳駅で感じていた暑さとのあまりの対比に、一瞬、世界が切り替わったような気がした。

帰りの電車の中、だんだんまた出町柳が近づいてくる。同時に徐々に暑さが戻ってくる。出町柳に着いてみると、やっぱり酷く暑い。暑さのあまり空気が澱んでいる。でも、僕の中では少しだけ、世界が切り替わった感じが続いていた。少しだけ新鮮で、これまで違う世界だ。

出町柳から先、鞍馬までの間には、由緒、由来のあるものがたくさんあった。だけど、そういったものに実はあまり興味も抱いてない。それに、『出町柳』という名前自体、何か由来がありそうなもんだ。でもきっとそれを調べたりもしないだろう。だいたい、出町柳駅が京都のどこにあるのかもきちんと把握していない。まあ、なんか北の方だ、多分。

そういったことが、自分の生活のフワフワさ加減、無責任さ加減を象徴している様な気がして、うしろめたさを感じた。その後ろめたさの中で思った。出町柳は、ちょっとだけ違った世界への入り口だ。それが僕の出町柳のピース。

そして出町柳

最近、種ともこという人の『おひさま』というアルバムを買った。この中に『出町柳』という曲が入っていた。

この人の曲を初めて聴いたのは、中学生の時だ。そして、以来、新しいアルバムが目につくと買って聴いていたけれど、最近は聴いていなかった。アルバムを買ったのも、10数年振りだ。

ポップで楽しいアルバムになっているが、その中にあって、『出町柳』は、出町柳を訪れて以前の恋を思い出している、そんな歌だ。種ともこらしい、美しいメロディ。それが切ない歌詞と良くマッチしていて、切実さを持って訴えかけてくる。

この曲を聴きながら、こっそり、出町柳のピースを取り出してみる。すると、あのフワフワさ加減を突きつけられる気がする。でも、それは当たり前のことかも知れない。切実な恋というものは、きっとあのフワフワさ加減、自分の今いる場所は本当の居場所じゃない、というようなところには生まれてこない。だからこれはフワフワしていない人の歌なんだ。そんな人が恋をして、それが、悲しい想い出になったり、幸せな記憶になったりするんだ、きっと。

この曲を聴くたびに、そんなことを想う。そして、そのたびに、僕の出町柳のピースが、別の色に染め変えられて行く気がする。それはそれで、僕にはなんだか却って心地よい体験だ。

こうして、出町柳は、僕の中で不思議な存在感を持つ場所になった。ただ、待ち合わせをして電車を乗り換えただけなのに。ただ、その場所を歌った歌を聴いただけなのに。いつか、また行ってみようと思う。そんな場所だ。

TrackBack

TrackBack URL for this entry:

Comment

Post a comment